設計者人生 道半ば

石原 大作パシフィックコンサルタンツ株式会社
交通基盤事業本部 構造部橋梁第二室 室長
石原 大作

平成20年に建設コンサルト業界に入り、橋などのインフラ構造物の設計に携わりはじめてから16年間が経ちました。 技術者人生の中ではおおよそ中間地点に立っています。はじめて設計というものを意識したのは、阪神・淡路大震災です。当時、兵庫県在住の小学六年生であった私は、これまで数十年間にわたり人々の生活を支えてきたインフラ構造物や建物が途方もない規模で被害を受けているさまに、まさしく衝撃を受けました。 震災直後の春から通い始めた神戸市須磨区の学校へ向かうバスから眺めた、一面ブルーシートが張られた建物が広がる焼け野原の光景は今でも忘れられません。 その後、縁あって出身大学である横浜国立大学の土木工学コースに入学することになりました。当初から設計がしたかった私は、講義や研究室のゼミで説明される構造に関する理論の重要性は理解できたものの、誰がどのように構造物を設計するかについて語られる場にはなかなか出会うことができずにいました。そんなことを悩んでいると恩師の山田均先生に話したところ、F・レオンハルトの「ブリュッケン」という書籍を紹介いただきました。 そこで繰り広げられる橋の計画や造形に関するレオンハルト先生の議論は、構造工学という理論だけでは説明できないインフラ構造物の設計の深みを感じられ、やはりインフラ構造物の設計をしたいという想いのもと今の職にいたります。  建設コンサルトの技術者として、幸い多くの構造物の設計に携わる機会に恵まれ、構造物の設計ごとに発見があり未だに飽きる気配はありません。 入社当初に関わった名勝に架かる天龍峡大橋、世界遺産の構成資産としてふさわしい橋は何かを考えた白糸の滝に架かる滝見橋、建築設計との協働作業の難しさ・楽しさを経験したアストラムライン新白島駅、多摩川河口の雄大な風景に馴染み、世界との玄関口にふさわしい橋とは何かを考えた多摩川スカイブリッジなど、規模も構造も異なる計画・設計を経験しました。 平成26年からは2年間ほど土木研究所に交流研究員として当時の道路橋示方書の改定作業に携わらせていただいたこと、その後も鋼道路橋設計便覧の改訂や道路橋ケーブル構造便覧の執筆に関わらせていただいたこと、平成31年には恩師の勝地弘先生のもと博士(工学)の学位を授与いただいたことは大きな財産です。 最近よく感じることは、わが国においても建設コンサルトの責任が大きくなっていることです。 従来のように国もしくは自治体が主導して、既定路線が決まった中での設計という一部分の役割を建設コンサルトが担うのではなく、事業者に寄り添って都度都度、課題を解決もしくは事業の方向性を決定できる根拠や方針を示すことが求められる機会が多くなりました。これは本来あるべき建設コンサルトの姿で歓迎すべきことであり、今後も日常生活においては人々から愛され、発災時など非常時においては人々を守り、様々な状況を経ても永きにわたって使われ続ける構造物を設計できるようになりたいと考えています。 次は学生時代からの橋仲間であり、学会活動でもご一緒することが多い同志の大日本ダイヤコンサルトの松井哲平さんにつなぎます。

愛知製鋼