ながれながされゆくままに

松井 哲平大日本ダイヤコンサルタント株式会社
海外事業部技術部 事業室
松井 哲平

高校生の頃、雑誌(Casa BRUTUSか新建築だったか)で牛深ハイヤ大橋の記事に触れたことが私の「橋」との出会いでした。どこにでもあるシンプルな形式でありながら、今まで見たことのないような美しさに圧倒されたことを覚えています。 また、その頃受験対策として通っていたデッサンの教室(当時は早稲田大学の建築学科に行きたかったのです。空間表現という実技試験、今もあるのかしら)で講師からこういう展覧会があるよとフライヤーを渡されたのが、篠原修先生、内藤廣先生(ともに東京大学名誉教授)が代表されていたGSデザイン会議主催のGROUNDSCAPE展でした。 土木にもデザインという職能があるのかと強く心を揺さぶられました。 そこでほんの少しの方向転換をして、お隣の土木工学科(私の入学年からは社会環境工学科に改称)に進学することにしました。 数年後、GSデザインワークショップにも参加し、そこで出会った仲間と今では仕事で付き合うようになるのですから、人生は綿々と続いているのだと感じられるとともに、橋との出会いは私の人生の大事な点だったのだと思います。 大学では、幸運にも所属できた佐々木葉先生(早稲田大学教授)の研究室で橋のデザインを対象とした研究に取り組みました。 デザインとコンセプトの関係を扱った卒業研究でインタビューした春日昭夫さん(三井住友建設)や後藤嘉夫さん(大林組)ら一流の橋梁技術者それぞれの橋に対する考え方は今でも私の橋に対する考え方を形づくっています。 また、橋の形態操作が人々の印象にどのような影響を与えるのかを探った修了研究は、業務でデザイン検討をする際の素地になっています。 入社式、「僕は日本一の橋のデザイナーになるためにこの会社に入りました」と堂々と挨拶し、場をなんとも言えない雰囲気にしたことは忘れられない思い出ですが、そのような私の思いはどこかで伝わっていたのか、多くの興味深くチャレンジングな橋の設計に携わる機会に恵まれました。 飯能茜台大橋に始まり、大都市の駅と再開発ビルをつなぐ竹芝デッキ、30代のほとんどの時間を費やした新港灘浜航路橋など、どれにも忘れられない苦しさと楽しさがあります。 最近では途上国の橋の設計に関わることが多くなりましたが、現地の魅力的な橋が維持管理不足により架け替えを余儀なくされている現状を見てからは、途上国の道路維持管理の状況調査などの活動も続けています。 美観も橋の機能の一つだと捉え、作ったときには美しく、それが長く維持され、人々に愛され続ける、ライフサイクル全体での橋のデザインを考えていきたいと思っています。 橋との出会いに始まり、多くの方やプロジェクトとの出会いなど、偶然の宝物に導かれるようにここまでやって来たように思います。これからも、自身の琴線を大事にしながら、興味の赴くままに、自分なりの橋梁デザインを、人生を賭して考えたいと思います。 この橋歴書のバトンは、大学研究室の大変生意気な後輩で、数多くの魅力的な橋の設計ならびに、その橋と人との関わりに関する興味深い取り組みをされているNEY&PARTNERS JAPANの岡田裕司さんにつなぎます。

愛知製鋼