株式会社ネイ&パートナーズジャパン
岡田 裕司
私の「橋」との出会いは、幼いころに父に連れられて、橋を描きにいった日。美しいとか、格好良いとか、そんな感情を抱いた訳ではないのですが、鮮明にそのことを覚えています。高校時代は物理学に没頭。宇宙飛行士になりたかったのですが、眼が悪くて断念。モノづくりの仕事がしたいと思い、建築学科を受験。ただ、当時予備校に置いてあった書籍で恩師・佐々木葉先生の記事を読み、「土木にもデザインがある!」と母校・早稲田大学だけは、土木学科で受験。今を思えば、土木の道に進んだのも何かの導きだったように思います。 大学時代は、恩師から大野美代子さんがデザインされた「蓮根歩道橋」や「フランス橋」を紹介頂き、人道橋のデザインをアーバンデザインとの関係性に着目して研究。橋を空間的に捉えるという視座を得て、修士論文でも「橋の空間論」を研究しました。学部4年の夏、「とりあえず、欧州の橋を見てきたら?」という恩師の言葉を受けて、欧州の橋を見てまわり、一気に橋のデザインに引き込まれていきました。同年に、今の会社ボスでもあるローラン・ネイの講演会「Shaping forces」が母校で開催され、そのレクチャーに衝撃を受け、橋のデザインをやりたいと決意しました。 この橋歴書の掲載日が3月11日。社会に出たのが東日本大震災の翌年なので、早いもので12年が経ちました。新卒で入社したオリエンタルコンサルタンツでは、渋谷駅国道デッキや潮風歩道橋など、いくつかの橋をデザインする中で、大学時代に考えていたことを実践してきました。また、2013年から出島表門橋のプロジェクトにチームの一員として携わる機会を幸運にも得て、設計、製作、施工、地域とのコミュニケーション「DEJIMA AGAIN」、完成後の維持管理「はしふき」まで、一貫して関わり続ける設計者の態度やその意味を今の会社のボスでもある渡邊から学びました。転職後、2017年からは虎ノ門ステーションタワーに架かるTデッキなど4つのデッキの設計・監理に従事。その中で、施工者(ゼネコン)と各専門業者とを設計者がつなぐ、水平ネットワーク型のものづくりのコミュニケーションの在り方を学びました。 タイトルを「つなぐ仕事。」としたのは、われわれ設計者がやるべきことは、セクショナリズムにより起こっている様々なレベルでの分断を丁寧につないでいくことだと考えるからです。橋は、隔たれた場所を物理的につなぐインフラです。設計は物理的な条件を読み解きながら、過去から未来へと時間軸をつなぐよう、カタチ(ジオメトリー)を環境に与えていく仕事です。同時に、その建設行為の過程で丁寧に地域とコミュニケーションをしながら人をつなぎ、インフラが地域の宝・文化になるよう完成後まで含めてプロセスをデザインする。その中心には、感情移入できるモノの存在が不可欠です。モノづくりのプロフェッショナルをつなぎ、共に困難を乗り越え、100年続く長期熟成型の価値を持ったインフラを実現する必要があります。 このバトンは、出島表門橋や虎ノ門デッキのプロジェクトでご一緒してきた大島造船所の松田明徳さんへつなぎます。