優しい人に肖(あやか)りたい

楠田 隆宏松田建設工業株式会社
工事部工事1課担当次長
楠田 隆宏

私は1995年に入社し、30年が経過しました。95年(平成7年)は、阪神・淡路大震災のあった年です。 入社まもなく、西宮や甲子園あたりの調査を行い、その後に浜手バイパスの復旧工事に配属されました。至る所で復旧作業が行われている最中ですので宿泊施設がなく、客船を三ノ宮の突堤に停泊させて宿とし、昼夜交代で工事を行っていました。 作業工程がひっ迫し、工事内容も大変な工事でしたが、それを新入社員の私が覚えている訳もなく、今でもうっすらと覚えているのは工事の大変さではなく、幼少期に夢中になっていた神戸を舞台にした推理アクションゲームの何カ所かを巡礼したことです。 浜手バイパスの復旧工事を終えて帰福した頃は、福岡都市高速道路工事の全盛期で福岡市内の至るところで架橋し、数年を過ごしました。その後、九州新幹線の架設工事施工中の2005年に今度は福岡西方沖地震が発生しました。この時は、すぐに福岡都市高速道路の点検を行い、支承損傷個所の補修に取り組みました。 その後、東西含む九州道を施工している時の16年に、熊本地震が発生しました。当時は緊急工事には参加したものの復旧工事にはなかなか携われませんでした。その後、阪神・淡路大震災の復旧工事を頂いた元請様より要請があり、地震で落橋してしまった阿蘇大橋の側径間架設工事を受注させていただきました。当時橋脚の登頂部で測量中に余震が発生し、地上約50㍍の橋脚が激しく揺れ、橋脚から振り落とされるのではないかと恐怖を感じたことを思い出します。 その後も、豪雨災害のあった岡山県の高梁川と小田川、鹿児島県奄美大島の住用川などの橋梁拡張工事が続き、その施工の最中に熊本豪雨災害が20年に発生しました。球磨川の流水量が増し、いくつかの橋が流されてしまった数橋の中の1橋を応急橋から本橋への架け替え工事に着任が決まりました。 この橋は、小学校の通学路としても使用されており、応急橋の撤去から新橋の架設までを冬休みの間に施工するという工程の非常に厳しい架設条件でしたが、結果的には工程に少し余裕が持てたので、現場に携わる全員が〝ONE TEAM〟となって施工が出来たと実感できた現場となりました。 さらにこの橋は妖怪アニメの1シーンに出てくる橋で、工事中も巡礼写真を撮りに観光者が来られるような橋だったので、開通に合わせて来訪者が押し寄せてはいけないと思い、着々と準備していました。 そして迎えた開通日の朝、早朝にもかかわらず、自撮り棒を持った歩行者が並びにいらっしゃいました。参列者は1名でしたが、開通を心待ちにしている人もいたんだなと改めて考えさせられる現場となり、これからも誰かに喜ばれる橋を架けていきたいと思いました。 阪神・淡路の災害復旧に始まり、今に至る訳ですが、被災地の復旧工事やボランティアなどに行くと、全員がいい人に見えます。私もずっと誰かに支えられて、助けられてここまで来れました。これからも誰かの助けを借りながら橋梁工事に携わり続けていくのですが、これまでの出会いに感謝し、いつかは私も誰かを支える立場になりたいなぁ。 次は、いつもお世話になっている横河ブリッジの金森悠様に繋ぎたいと思います。

愛知製鋼