株式会社横河ブリッジ
計画本部 大阪計画部第一課 課長補佐
金森 悠
私が橋梁技術者を志したきっかけは、広島の呉高専で土木工学を学んでいく中で、橋梁の力強い美しさに魅了されたことでした。当時、建設中の第二音戸大橋を何度も見に行った記憶があります。「仕事にするなら鋼橋しかない!」と思った19歳の私は、横河ブリッジのインターンシップにも参加し、悩むことなく早々に進路を決めて、無事に採用されました。 鋼橋に携わりたいという強い思いで入社したのですが、初めて配属された現場は、当時、金沢~長野駅間の開業に向けて建設が進められていた北陸新幹線のPC桁製作架設工事でした。そうです、当社が専門としている鋼橋ではなかったため、「思っていた現場と違う!」と強く思いました。当時、当社は斜張橋のような斜ケーブルが特徴的な阿波しらさぎ大橋を施工しており、新入社員研修時にこの現場に関する情報をよく聞いていました。 案の定、新入社員が配属される現場の一つになったのですが、私ではない同期の一人が配属されました。しかし、PC桁製作架設工事に配属されたことで、鋼橋の現場では得ることのできない貴重な経験ができました。仕事への情熱や向き合い方を教えていただいたのは、この現場でお世話になった方々でした。大きな財産になりました。 印象に残っている現場をいくつか紹介します。 三重県にある四日市JCTの上部工事に赴任しました。当社が受注した施工範囲のうち、私が担当したのは本線橋の鋼3径間連続合成箱桁橋(上り線:217メートル、下り線:228メートル)でした。本橋は、交差する高速道路の通行止め回数を減らすため、高速道路上の送出し(送出し長:上り線142メートル、下り線144・5メートル)を上下線同時に1夜間で施工する難工事でした。それを実現するために様々な工夫を行いました。限られた施工ヤードで作業効率を上げるため、桁地組み立てに使用したトラベラクレーンとは別に、地組みした桁上にラフテレーンクレーンを搭載して合成床版を架設しました。 送り出し時の桁の挙動を事前に細かく確認し、それを考慮して軌道修正や変位に対するリスク管理を行いました。送出し当日、無線機で全体の作業進捗をドキドキしながら確認していましたが、上下線ともに規制解放時刻に遅れを生じさせることなく作業を完了させることができました。当時の私一人ではとても乗り切れるものではありませんでしたが、諸先輩方にご指導をいただきながら難易度の高い工事をやり遂げたことが大きな自信につながりました。また、改めて当社の技術力の高さを誇りに思いました。 和歌山県にある阪和自動車道のトラス橋、ラーメン橋、アーチ橋の耐震補強工事に赴任しました。新設工事と異なり、大きなクレーンで豪快に桁架設をすることも、施工前後の景色が大きく変わることもありませんが、保全工事の面白さを知った現場です。 高速道路上からしか部材の供給ができない施工条件の中、支承取替え、橋脚補強、落橋防止装置の設置と鋼桁部の連続化等を行いました。桁下にヤードが無いため既設桁を利用して滑車とワイヤを設置し、油圧ウィンチで補強部材の運搬~取付け作業を行ったときは、「こんな方法もあるのか!」と感動しました。 2年前に、初めて監理技術者として山陰道米子道路の付加車線化工事に赴任しました。渇水期施工で工程が厳しい中、10年に一度?の大雪に見舞われましたが協力会社と一丸となって工程を挽回できました。現場での立場が変わり、対外的な業務に苦労しました。地元、発注者、関係機関、隣接工事等と協議する機会が多く、対応の難しさを感じましたが、無事に工事を完了することができ、発注者からも高い評価をいただきました。真剣に向き合うことが良い結果につながると実感した工事でした。まだまだ若輩者ですが、諸先輩方に恥じないようこれからも真剣に向き合っていきます。 次回は、「思っていた現場と違う!」と感じながらも、私の橋梁人生の原点となったPC桁製作架設工事でお世話になり、その後も私が苦労しているときにいつもご支援をいただいている今井重機建設の森田様にバトンをお渡しします。