川田テクノシステム㈱
総合技術部 東京技術部 保全課 課長代理 趙 清
私が橋梁に関わりを持つようになったのは、恩師である岡林隆敏先生の研究室に入り、ダンパーを使用した橋梁の制震に関する解析を行ったことに始まります。当時は、パソコンのOSはWindows3.1がやっと出始めた頃で、大学の研究室ではMS-DOSが主流でした。そんな中、研究で使用していたOSはMacintoshであり、斬新な思いで研究を行ったことを覚えています。そして、この出会いがきっかけとなり、パソコンを使用して詳細設計をやりたいという思いから、川田テクノシステム株式会社に1995年に入社することになりました。
入社した当時は、首都高速道路の製作設計が盛んな時期で、入社から2000年くらいまでは、首都高速埼玉大宮線や首都高速湾岸線などの連続高架橋の製作設計に携わり、立体骨組解析や鋼製橋脚の設計などを、客先や協力会社の担当者・社内の先輩に教わりながら業務を何とかこなしていました。しかし、当時の製作設計業務は、市販のプログラムだけでは不十分で、マンパワーを必要とする作業が非常に多く、この時「プログラミング能力を身につけないと、この先しんどいぞ」という思いが芽生えました。そして好都合なことに社内に開発部があることから、転属願いを出したところ、比較的簡単に転属することができ、3年間ほどプログラミングの修業をすることができました。
2004年に開発部から設計部に戻って半年ほどで、中国の黒竜江省にあった合弁会社へ技術指導の立場で4年ほど出向することになりました。この長期出向では、考え方や文化の違う世界で苦労することもたくさんありましたが、現地の技術者と一緒に仕事をすることができ、とても貴重な体験となりました。そして、自身入社以来で最も印象に残る4年間となりました。
2008年4月には中国から戻り、半年くらい経った頃、あるコンサルタント会社で4年間ほど勉強することになりました。下部工の詳細設計を覚えて戻ってくることが目的でした。当時、私は鋼上部・鋼下部構造の設計しか知らず、「安定の照査?」といった感じで、右も左もわからず非常に苦労しました。
この辺りまでは、鈑桁や箱桁といった一般的な桁橋の設計しか経験がありませんでしたが、2011年頃からチャンスにも恵まれてアーチ・斜張橋といった特殊橋梁の設計に携わることができました。これまで、変位法による解析しか経験がなかったため、幾何学的非線形を考慮した解析や有限変位法による解析を行うにあたり、非常に苦労し、多くの方にご指導いただきました。この5年間くらいで関わりを持った特殊橋梁の4件ほどが、今まさに建設中であり、完成が待ち遠しい今日この頃です。
そして2015年くらいからは、主に耐震補強設計業務に従事しております。上下部一体での挙動を考慮しつつ、橋梁の耐震補強や制震化を行うことに日々勉強の毎日です。しかしながら、大学での研究活動やコンサルタント出向で学んだ下部構造の設計・特殊橋梁の設計・プログラミング能力等、点での存在であった経験が、やっと線でつながったのではないかと感じております。
入社して23年目になりますが、これまで多くの方々にご指導いただき感謝の思いでいっぱいです。今後は、自身の研鑽、若い世代の方たちへの技術の継承を含め、橋梁業界に少しでも貢献できるように精進したいと考えております。
次回は、橋梁設計でお世話になっておりますパシフィックコンサルタンツ株式会社の土田隆司様にバトンをお渡しします。