吾唯知足2020年7月21日号掲載分
橋梁市場の主としての事業は、メタル橋とPC橋に大別されてきた。1950年代当初は、特に、自治体では橋 …
橋梁市場の主としての事業は、メタル橋とPC橋に大別されてきた。1950年代当初は、特に、自治体では橋 …
新型コロナウイルスにより、これまでに積み上げられた制度や風習、習慣の多くが形骸化していることは残念だ …
県境をまたぐ移動が自由になり久々に活気が戻りつつある。が、ポストコロナは気楽に臨みたいものだ。「大機 …
橋梁専門記者を始めた頃、三宮駅から、バス、タクシー、時には歩き、神戸港から淡路島や鳴門に渡ったものだ …
非常事態宣言の解除により、コロナ禍による社会・経済自粛活動も元の生活目指して収束に向かって行くはずだ …
小紙の取材で掲載される事業マップは、皆地域の未来図の俯瞰図そのものだ▼現代まで、読み継がれる奈良時代 …
小紙が、読者諸兄の手元に届くころには「GW週間」や、初の「ステイホーム週間」とやらも終末を迎えると思 …
昭和48年の本州四国連絡橋3ルート同時着工が決定し、11月の起工式が、第二次オイルショックによる総需 …
橋梁記者47年、様々な橋梁現場を取材し、常々、記者は「下津井瀬戸大橋」を、日本の橋梁史の石碑(小紙風 …
その時の記者(吾唯知足子)の出張・取材先は、鹿児島県の西北部だった▼(先約取材先の)宮崎でレンタカー …
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