本州四国連絡高速道路株式会社 長大橋技術センター 防食・耐風グループリーダー 竹口昌弘
徳島大学在学中に大鳴門橋が供用開始するなど、私にとって本四連絡橋は学生時代から身近な存在でした。大学の研究室では、宇都宮英彦先生、長尾文明先生から耐風工学の基本を学び、卒論テーマは渦励振を対象にした二次元風洞試験方法に関する基礎的な研究でした。 大学卒業後は、約2年間のゼネコンを経て平成3年に本四公団(現本四高速)に就職しました。入社前年に、水中コンクリートを打設している明石海峡大橋の主塔基礎工事を船上から見学する機会がありましたが、この主塔基礎間の約2㌔を一跨ぎする明石海峡大橋の雄姿を、海上で想像した時の興奮は今でも覚えています。 そして、本四公団での最初の配属先は、運良く希望していた明石海峡大橋の工事事務所となり、淡路側アンカレイジの基礎掘削から躯体コンクリート打設までを担当しました。アンカレイジの構築には、急速施工の必要性から日最大2000立方㍍もの施工を可能とする高流動コンクリートが開発、採用されましたが、その品質管理方法の確立に向けた検討に係わることができました。本四連絡橋の建設工事の経験は、この明石海峡大橋アンカレイジ工事の2年半が最初で最後となりましたが、この間には、高さ300㍍の主塔がブロック架設で積み上がっていくなど、活気ある明石海峡大橋建設の一時期を経験できたことは土木技術者として幸せに思っています。 その後、設計部で耐風設計を担当し、土木研究所内にあった大型風洞実験施設も利用して来島海峡大橋の桁架設時の耐風性照査を行いました。公団内の先輩はもとより、当時の本四耐風委員会では、委員長の横浜国大・宮田利雄先生はじめ多くの先生方や重工メーカーの方々からご指導いただき、長大橋耐風設計の基本を学びました。 平成10年から約2年間、供用直後の明石海峡大橋の維持管理を担当しました。その時に並列ハンガーロープに発生したウェイク振動の制振対策を実施しましたが、台風時に対策前のハンガーロープが広範囲で大振幅に暴れている様を目の当たりにした時は大きな衝撃を受けました。そして、録画された映像を何度も繰り返し見て、その現象把握に努めました。 そして、私の橋歴に欠かせないのが平成15年から約5年間の土木研究所への出向です。所属は構造物研究グループ基礎チームで、道路橋下部構造の設計、施工に関する調査研究を担当しました。土木研究所では、自ら係わった研究成果が技術基準類に反映されることのやりがいと責任を経験しました。そして、多くの技術相談の対応、地震や豪雨の被災調査など貴重な経験を通じて、計画、調査を含めた道路橋設計の課題、留意点を学びました。また、当時、上司でした中谷昌一先生からは、公物に携わる技術者の持つべきセンスや100年以上供用される公物のあるべき設計の考え方について、厳しくも温かくご指導いただいたことに感謝しています。 現在は、本四連絡橋の修繕費の大半を占める防食に係る技術開発などを担当しています。来年には、瀬戸大橋は30歳、明石海峡大橋も20歳を迎えますが、先輩方が熱い思いをもって築き上げてきた本四連絡橋を、少しでも健全な状態で次の世代に引き継いでいかねばなりません。このことを強く意識し、これからも皆様のご指導を仰ぎながら橋歴を刻んでいきたいと思います。 次は明石海峡大橋アンカレイジ工事担当時の上司で公私ともに大変お世話になっています神戸市道路公社・理事長の末永清冬さんにバトンをお渡しします。