技術者は一生勉強

飯田鉄工株式会社
技術2部課長
池田 然之

飯田鉄工は、昭和23年1月、水門、特に自動堰を主力技術に設立され、40年代中頃からは、橋梁ほか鋼構造物全般のメーカーとして、山梨県を中心に活躍する。

平成9年4月に入社、多くの橋の現場代理人を務めて来た。特に記憶に残るのは、平成18年、国道23号名四バイパスの橋梁工事。山梨県外の仕事という事で、同僚と共に意気込んで現場入りしたものの、ガードマン不足など様々な困難に見舞われる。

「私は設計照査を担当していたのですが・・」。施主の名四国道事務所・担当者とのやり取りが思うように進まず、何度もやり直しを求められた。

「丁度10年目、技術者として自信もついていた頃で、それが幾分、緩みにつながっていたのかも知れない」と語る。書類作成のイロハから勉強し直す覚悟で、事務所に泊まり込み、作業に没頭する。現場には本社からの応援部隊が来て、交代で交通誘導をするなど、一つ一つ問題を解決、むしろ士気は旺盛、社員一丸の機運は大いに盛り上がったという。

「中堅に差し掛かかる頃の困難な仕事だったからこそ、良い刺激だった」と振返る。

また、平成27年に供用した身延町の早川橋では、工場製作の現場代理人を任せられる。バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋は、同社では初めての橋梁形式だった。JVを組んだ横河ブリッジや、工区を分け合う片山・瀧上JVなど、大手橋梁メーカーからは、謙虚に、しかし、どん欲に技術を吸収するつもりで臨んだそうだ。「技術者は一生、勉強だと思っています」と語る。

山梨大学大学院修了。44歳。埼玉県新座市出身。(川村淳一)

愛知製鋼